教育

この前の日本語プログラミングワークショップからずっとぐるぐるしていたことがようやく言葉になったのでメモ。
日本語プログラミングが初心者用で教育に向いているとかいないとかそういう話が出るたびにもやもやとしたものを感じていたのですがたとえるならかなづちみたいなものなんだよな。工作の時間に使うか、物理の時間に使うか。
なでしこは図工の時間に使うには適しているけど数学で使うには適していないかもしれない。使うこともできるけどどちらかといえばその方面のことは隠すようにできていると踏んでます。道具の進化の方向として安全でこどもでも使えます寄りなんだな、きっと。
刃物ってカテゴリで言った方がいいのかなぁ。紙しか切れない安全バサミもあれば人を殺すための刀もある。髭をそるのに特化した刃物もある。
コンピュータもただのハコだしプログラムだってただの道具なんだからいろいろあってもいいよね。
かなづちなんて小学生でも簡単に使える。けれど力学的なことをわかっているほうが上手に使えるようになる。
私はなでしこを学ぶための道具じゃなくて楽しむための道具だと認識してるみたい。興味が出たら調べればいいじゃない。部品はどうやって作られているのだろうとかOfficeはどうやって操ってるのかしらとか。今はネットがあるから興味を持った瞬間に学ぶための扉が開かれる。小学生の授業とか趣味悠遊とかが今のところ売り込み先としては適しているのかもしれないな。
教科書的にいくと正規表現APIRDBなんかは「発展課題」にあたるのかな?むしろ数Cのイメージだなw
学ばなくても生きていけるけど知ってると便利な局面もあるよー。って感じね。
プログラムも実務じゃなくて芸術系の科目として広めてくれたら世界で通用するプログラマーがもっと増えそうな気がするな。
本当に世界で通用するプログラマを育てたいんならパソコンにかじりついている子供に対する悪いイメージがなくなることが最も重要と思います。一日中絵筆握ってる子やドラムたたいている子はそのうち立派になるかも、すごい才能があるかもって思ってくれるのに日がなPCの前に座っている子はそのうちニートになるかもって思われてしまっているような気がしてて。
勿論そんな偏った人ばかりがいるわけじゃないけどテレビで放送されるヒステリックな親見てるとそういう人もたくさんいるんじゃないかしらって不安になる。そんな人ばかりの環境じゃすごいプログラマは育たないよね。
っと脱線。
とにかく、なでしこはプログラムを楽しむための言語としては非常に優れているしその方向に進化していってくれることに依存はなくてこれからも全力で応援しますよってことだ。